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日蓮聖人おたちよりの霊場

今から約760年前、1253年の春に日蓮聖人は京都比叡山遊学の折り当地を訪れ、茶店を営んでいた道円、妙円の両夫婦を説法教化され、記念に1本の松を植えられました。それが「久遠の松」です。
その後、夫婦は自宅裏に法華堂を建立して大慶寺の基を開きました。
正和2(1313)年に六老僧日向がこの地を過ぎ,見事な松を質したと伝えているが,後に一禅師の住む所となり,慶少庵と呼ばれたときもあったという。降って天文5(1536)年に大円院日遵が法乱を避けて当地に来たり,法華堂で布教して遂に大伽藍を建立し,中興の祖となった。

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久遠の松

日蓮聖人お手植えの松で樹齢750余年の黒松、樹勢旺盛で枝振りが四方に張り出て誠に見事です。
松としては最高の年齢で全国まれに見る大木です。静岡県の天然記念物に指定されています。高さ26m枝振り30m根本周囲7mです。
昭和58年「日本の名松100選」に選出されました。静岡県内では「三保の松原」「沼津千本松」「久遠の松」の3つです。県内で単体の松で選出されているのは「久遠の松」だけです。

2020年6月日本遺産の構成文化財に認定されました。

大慶寺|久遠の松.jpg
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道円妙円の墓|大慶寺.JPG

道円妙円の墓

日蓮聖人が比叡山に遊学し,その往復の途次一宿せられて,道円・妙円の夫婦を教化されました。
後に夫婦が邸内にさゝやかな法華堂一宇を建立し,これより大慶寺の基が開かれました。
法号は宗祖よりの授与になるもの,円妙山の山号もそれによっている。
久遠の松の前の石彫大宝塔の下に道円法師・妙円法尼の墓があり,鎌倉時代のものと鑑定されています。

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2回の大火

江戸時代には大慶寺は2回大火で全焼しています。
そのため、江戸以前の貴重な資料等は殆ど焼けてしまいました。
現在残っているのは、久遠の松と大毘沙門天の像だけとなりました。享保時代の大火の後、大慶寺16世日住上人は、身延山日裕法主から、大慶寺が確かに日蓮聖人お立ち寄りの霊場であることの証のお曼荼羅を授与されています。

毘沙門天像|大慶寺.jpg
大慶寺2.jpg
田中城祈願寺|大慶寺1.jpg

田中城祈願時・さむらい寺

藤枝市には江戸時代田中城という4万5千石のお城がありました。
大慶寺はこの田中城の祈願所となり、徳川期より「さむらい寺」と呼ばれました。
藩の菩提所として栄えたのは、時の住職が姫の病気平癒祈願の功により嘉賞されたため、城主と対等の乗輿が許されたほどの厚遇を得ていたと記録があります。

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